勢いでインドネシアに行ってみた

勢いでインドネシアに行きました。日本語のインドネシアブログが少なすぎるので(ジャカルタ以外は特に)自分で発信してみます。

私がインドネシアに行く前に

中学に入ってから今までずっと、「自分とは何か」という問いを考えてきた。到底答えなんぞ出てこないし、このなんとなくもやもやした気持ちは周りの人に理解されないと思っている。

 

要は成人しても未だに厨二病が完治してないのである

 

いや、厨二病→モラトリアムに多少は変わったのかな…?

とにかく私は日々自分の存在を認められず、他人のことが羨ましくてしょうがないのだ。

 

「あなたは何になりたいの?」

 

これは母が私によく言う言葉だ。高校受験と大学受験の際には言われすぎて母と衝突した。何になりたいなんてわかるわけないじゃないか。しょうがないじゃないか。(cv.えなりかずき)

周りの友人に聞いても「なりたいものがわからないから進学するんじゃないの?」と言われた。そうだよな、私もそうだもん。ただ、私の母は執拗に「何になりたいか」を聞いてきた。正直ひとりっ子のせいもあってか過保護に育てられてきた私にとって、急に突き放された感覚で困惑しかなかった。おそらくこの問いから私の「自分とは何か」という悩みが始まった。

 

刻々と迫る就職活動、自己分析がまるでできない自分は正直ESすら書けないのではないかと不安に思っている。私は趣味も特技も取り柄もない。ただ毎日をなんとなくこなして生きているだけの人間だ。

かなり飽きっぽい性格で習い事は幼い頃に一応器械体操と水泳をやっていたが、家計の問題で辞めざるを得なかった。(水泳に関してはバタ足で1年間かかり、クロールまで教えてもらえない絶望的センスのなさだったので内心辞めることができて嬉しかった。)

中高時代の部活は消去法で文化部へ。しかし人間関係に嫌気がさしてどちらも途中で退部している。

 

こんなわがまま放題で生きてきたが、ありがたいことに周囲の環境に恵まれてきてしまったもので、特にこれといった苦労もせず、厳しい上下関係に直面することもなく、いじめられることもなく、なんとなくここまできてしまった。

このように、「これといったものが良くも悪くもない、通知表万年オール3の通行人A」が形成された。でもさこれってすごくやばくなぁい?就活って個性が問われるんでしょー??みんなー!平成最後のダメ女はここよー!!誰かお嫁にもらってー!料理と洗濯はできるわよー!!掃除はできないけどー!!お嫁さんになって就活参加放棄したいでーす!!!!🙋‍♀️

 

もうさ、ほんとこんな感じだよね。まずいのはわかってる、わかってるけどむりつらい。

 

さ、一通り悪あがきをしたところで本題に戻るが、私にとって自分とは何かなんてまだまだ分からないし見つからない。

 

唯一ふわっとした目標を挙げるとすれば、素敵な人たちに囲まれて、常に心に余裕を持った美しい人間になりたい。これは想い続けていることだ。人の悪口で盛り上がる自分はいなくていいし、綺麗な自然と本と音楽と、私の好きな人しかいない世界で暮らしたい。そんなの無理だけど、思うくらいは、ね。ただ素敵な人たちがいるところに自分の身を置きたい!と思っている。

 

まーーた脱線したが、今も素敵な人は私の周りにたくさんいる。バイト先の仲間は特にそうだ。私のバイト先には留学生が多く働いている。ほとんどは母国で日本語を勉強したのち、単身で来日し1年ほど日本語学校に通って日本の大学を受験しているそうだ。

 

彼女たちに共通しているのは、自分の将来が明確であることである。てか私の友達そういう人が非常に多い。だから好きになるし友達になりたいと思うのだが、正直羨ましさと悔しさしかない。

自分が何をして生きていきたいのか、彼女たちはわかっている。そのうえ自分の知らない土地で目標に向けて日々学びつづけているのだ。

 

私はそんな彼女たちと一緒にバイトをしていると楽しくてしょうがない。自分にないものを持っている憧れの存在であり、キラキラした人たちだからだ。私からみた「海外」で育った彼女たちの文化や言葉を知ることはとってもワクワクする。いつも私の知らないことを教えてくれるし、もちろん私が日本の文化や言葉を教えることもある。

すると自分が普段何気なく生きているこの日本でも、ソトから見ると変わって見えたり、捉え方が違うという発見が得られる。おまけに私のことを「日本語の先生!」とほめてくれ、非常に悪い気はしない。むしろうれしい。ニヤニヤしちゃう。ありがとう、、私単純だから尻尾ブンブンに振っちゃう🐕

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。今までの道のり、長かったね、、疲れたね、、やっとこさ、やっとこさの本題ですよ。おめでとう!次回に続く!